はじめに
古伊万里について
伊万里焼きとは?
作品一覧
■景徳鎮から伊万里へ。  〜そしてヨーロッパへ
  その時、中国景徳鎮の代わりとして注目されたのが古伊万里でした。
ヨーロッパにおける磁器製造と柿右衛門様式や古伊万里様式の模倣は、
ここマイセンから始まったのです。17世紀当時ヨーロッパには
陶器はありましたがまだ磁器を作る技術がなく、陶器より
遥かに優美繊細で透光性のある磁器は謎の製法で
生まれる神秘のベールに包まれた未知の世界の財宝に
他なりませんでした。
 ヨーロッパの人々には、中国磁器や古伊万里は金銀財宝と
同じ価値を持つ富と権力の象徴だったのです。王侯貴族や
富裕階級は、東洋貿易の中心であるオランダ船が入港する
アムステルダムに陶磁器専門の買付代理人を置き、争って
磁器を買い求めたといわれています。そうして手に入れた
品々を「磁器の間」を設けては、壁面を埋め尽くすように床から
天井に至るまで磁器を配し、「ポーセレン・キャビネット」という
陳列棚をしつらえては誇らしげに飾り、惜しげもなく人目に
晒すことで、自らの権力・財力を誇示したのです。流行は
ヨーロッパ各地に広がり、各国の宮殿に次々と磁器が
集められて行きました。これらの多くは現在、各国の
美術館・博物館などの古伊万里コレクションの元となっています。中でも熱狂的な古伊万里蒐集家であったフリードリッヒ・
アウグスト1世が、17世紀から18世紀にかけて蒐集した千点を
超える古伊万里コレクションは世界的に有名で、ドレスデンの
陶磁美術館(ドイツ)に展示、保管されています。
東インド会社が中国から輸入した量は、1604〜1657年で約300万個。 
うち伊万里焼は1652〜1683年の31年間で190万個と、長崎の
出島商館長の日誌に記録されています。 これはオランダ一国の
数量ですから、ほかの東インド会社の分も合わせると、膨大な焼き物が
ヨーロッパに運ばれました。
 古伊万里は日本の生んだ最初の国際ブランドとして現在でも名を
知らしめています。 こうして東洋の焼き物は、17世紀のヨーロッパの
貴族階級に行き渡ったと考えられ、コレクターもいました。 
その一人が前述のドイツ・ザクセンのアウグスト王です。
世界の磁器の状況  〜ヨーロッパを中心として〜
景徳鎮から伊万里へ。 〜そしてヨーロッパへ
ドイツ・マイセンの発祥

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