はじめに
古伊万里について
伊万里焼きとは?
作品一覧
■ドイツ・マイセンの発祥
  17〜18世紀のヨーロッパの王侯、貴族にとって、日本や中国の
陶磁器は、金、銀と同じ価値を持っていた。
かれらはオランダのアムステルダム港に陶磁器専門の買付け
代理人を置いたという。そしてハプスブルク家、ブルボン家、
ハノーバー家など当時のヨーロッパの支配者たちは、
コレクションだけではあき足らず、他国から陶工や絵付師を
連れて来て自領内で焼かせるほどになった。
有田の美に酔いしれた王侯の典型──それが
ドイツ・ドレスデンの王オーガスタ・世である。
80人もの愛人との間に200人の子どもを設ける絶倫ぶりと、
他国の王位を奪い取る政治的野心のために「剛胆王」と
あだ名された男がいる。ザクセン選帝公国の君主、
フリードリヒ・アウグスト1世(ポーランド王アウグスト
2世 1670〜1733)だ。絶対主義君主が覇権を競ったこの
時代、怪物の如き剛胆王が最も精力を注いだのは
「美」だった。まず、首都ドレスデンを「エルベ川の真珠」、
「ドイツでもっとも美しいバロック都市」と言われるまでに
整備した。さらにこの都に絵画、宝飾、磁器とあらゆる
美術品をもたらし、市民に開放したのである。剛胆王は、
ヨーロッパ随一の文化行政都市ドレスデンを築き上げる
ことで、自らの名を内外に誇示したのである。

この豪華なコレクションを今に受け継ぐのがドレスデン国立
美術館である。ラファエロやレンブラントの傑作が居並ぶ
「古典絵画館」や、この世に二つとない宝飾品が目白押しの
宝物館「緑の丸天井」、有田焼など世界中の磁器2万点を
集めた「磁器収集室」など12部門から構成される。その驚異の
収集品が豪胆王の死後も歴代君主により守り続けられ、
第二次世界大戦の戦禍を潜り抜けながら散逸せずに
伝えられたことは「ドレスデンの奇跡」と言われている。

彼は特に日本の磁器、漆器を好み、3万5千点あまりの
コレクションを持ち、伊万里焼だけの宮殿を計画したほど。
ついに自分自身で東洋の磁器と同じような焼き物を作る
決心をしました。それが、ドイツのドレスデン北西方の
マイセンに開いたマイセン窯です。王はドレスデンに
やってきた19歳の錬金術師、フリードリッヒ・ベトガーを
監禁、磁器の開発を強制しました。
1694年のことです。ベトガーは後に、科学者で数学者の
E・W・フォン・チルンハウゼンと二人で研究に取り組み、
やがて朱泥のようなせっ器を作り、14年目の1708年、
ついに本格的な白磁器の開発に成功しました。
当時、磁器製造法は最も先端的なテクノロジーで、
多大な利益を得られる最高の機密でしたから、べトガーの
監禁も秘密が漏れるのを恐れたためですが、この成功は
悲劇も招きました。 チルンハウゼンは病に倒れ、
ベトガーも拘禁による精神的苦痛から酒におぼれ、
やけどがもとで39歳で亡くなっています。「剣」を
組み合わせたマークで知られるマイセンの栄光は、
こうして受け継がれ、ドイツは世界でも一流の磁器王国に
なりました。マイセンの焼き物は、日本の磁器よりさらに高い、
1400度以上で焼くことのできる土を使用するのが特徴です。
高温でも崩れないように少し厚手で、釉(ゆう)も堅くなり、
あまり上絵に向いていません。
また、マイセン磁器の大きな特徴の一つは、ベトガーが苦労の
末に見出した カオリンと呼ぶ上質な白磁土の焼成による、
輝くような透明感にある。カオリン含有率65%の世界一の
磁器質で磁器に必要なガラス質や鉱物の複合要素で
含有率が高い程、 精細度も高く、非常に硬い磁器が
製造されます。
但し鉱脈にも 限りが有り、生産量が不安視されます。
このあたりがマイセンの高価な理由の一つとされる。現代のマイセン商品が
がっちりした仕上がりになっているのは、国民性というより材質のせいです。
日本のように自然土をそのまま利用するわけではないので、その分、
純度が高く、鮮やかな色合いが出せます。また日本を手本としたこともあって、
東洋調のデザインが今も多く息づいています。
  
  
世界の磁器の状況  〜ヨーロッパを中心として〜
景徳鎮から伊万里へ。 〜そしてヨーロッパへ
ドイツ・マイセンの発祥

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